[0008][想い出] W.V.OBの集い          昭和39年度 塩田 康夫 (2003/01/21)


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W.V.OBの集い

 11月2日夜、岡山大学ワンダーフォーゲル部OBの集いが初めて開催されるとの案内があり、連休前だったが午後から休診して出かけた。ワンゲル部の活動は昭和30年代始めに始まったが、現在まで40年続いておりOBの数も300名をはるかに超えているとのことだ。

 当日の参加者はOB107名現役22名という盛大さだったが、その数日前に新聞で愛媛大と松山大の山岳部が廃部になるというニュースを読んだばかりだったので、少なくなったとはいえ同じような活動を続ける後輩たちが30年以上も存在し続けていると言うことに少しばかり感動した。

 私達の同期卒部は7名いたが、当日の参加者は3名だった。マネージャーだったN君は今も時々出かけるが、最も困難な山行を常に追求していたK君は殆ど登る機会は無いと言う。


 ワンダーフォーゲルという言葉は高校の頃、ヒットラー・ユーゲントの活動の一環として始まったと読んだことがあったので漠然と知っていたが、入学してどこかのクラブに入りたいと思ったとき、その名前のロマンチックさに惹かれてうかうかと入部してしまった。それまで山など遠足以外登ったこともなかったので、山岳部の亜流のような活動と、体育会としての強権的な体質になじめず幾度も辞めようかなと考えた。今から振り返ってみてもはじめの2年間は随分いじけた暗い部員であった。

 ところが留年して1週間に1時間の講義だけ出ればよい生活となり、ほかにすることがなく今度はボックス(部室)に入り浸る日々となってしまった。この年は100日以上を山で過ごした記憶があり、初めて赤石山系〜石鎚までを縦走したのもこの秋のことである。部室の落書き帳にも暇にあかして思い付くままに色々なことを書き続けたものだが、52年火災でボックスが全焼し当時の資料は全て灰となったとのことだ。

 今となっては何をしても良かった黄金の一年だったが、時は政治の季節を迎えつつあり、翌年専門課程に進み医学部新聞部で活動し始めると、次第に関心は山から離れていった。再び赤石の山を訪れたのは激動の時代が去った卒業翌年春のことである。











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